杏林形成外科・美容外科のホームへ

気まま日記のトップページへ

気まま日記の「顔面神経麻痺」特集へ

最近の記事一覧:

2011年もよろしく

職業病?

趣味:読書

東京にも雪(2011年)

地震

東北関東大震災

年年歳歳花相似

追伸:深大寺写真

自然の脅威(驚異)

新緑の候

風評にご用心

末は博士か大臣か

クールビス

「お久し振りです」

顔面神経麻痺特集出来ました

二百二十日

暑さ寒さも

故郷(ふるさと)

ピラカンサスの実

アンチエイジング

名簿

 

 

プロフィール:

名前:波利井清紀

かな:はりいきよのり

職業:杏林大学医学部
    形成外科教授
 東京大学名誉教授

生年月日:1941.6.6

星座:ふたご座

血液型:AB型

趣味:ゴルフ、読書


【過去ログ】

気まま日記の「顔面神経麻痺」特集

2010年の記事一覧

2011年の記事一覧

2012年の記事一覧

2013年の記事一覧

このページは、2011年「気まま日記」の一覧です

→ 気まま・徒然・ときどき日記トップページへ戻る

2011年もよろしくお願いします

2011年1月16日

大変遅ればせながら、皆様、本年もよろしくお願いいたします。

気が付いたら、この教授日記「かまわぬ」を書き出してから、1年が経っていました。年をとると時間が早く過ぎるように感じて、どうも毎日が追い立てられるようで、あまり精神的に良くないなーと思ってますが、ホントに、昨年末はいろいろ忙しくて(って言い訳ですけど(汗))。

 

前年を振り返ると大事、小事、いろいろのことが起こってますね。海老蔵さんの事件も有名人ならではでした。

顔面骨折は、形成外科医が日常的にもっとも多く見ている外傷の一つです。海老蔵さんの怪我の時も、とある新聞記者さんがすぐにコメントを求めてきました。実際に怪我の状態を診たわけではなく、骨折したといわれている部位を聞いて「それなら軽症で2週間以内でなおるでしょう」とコメントしました。

ところが、他の医師の多くが重症とコメントしていたため、その記者が「本当に軽症ですか?」「顔面麻痺は残りませんか?」と、記事を書く際に何度も念を押してきました(デスクに確認を求めれられたそうです)ので、実際に、テレビで海老蔵さんが事件後半月ほどで会見を行っていた顔を見て、私は内心ほっとしました(私のコメントは間違っていなかったと・・・)

 

一般に骨折というと「重症」というイメージがありますが、骨折だけでは後遺症を残すことは少ないものです(もちろん、折れた部分の整復・固定は必要で、全治に時間が必要ですが)。むしろ顔では、顔面の皮膚がざっくり切れていまうと「傷」が一生の残ることが多いですし、傷が深く筋肉や神経まで切れると、顔面神経麻痺などの重大な後遺症が残ります。

もちろん、顔面骨折も骨が折れた場所や程度によっては顔面の変形や咬合、目の動きなどに障害が残ることがあります。その意味でが、今回の海老蔵さんの怪我の状態から見れば、運が良かった(不幸中の幸い?)のかもしれません。

 

くれぐれも、飲みすぎ食べすぎ、○○過ぎには気をつけましょう。

過猶不及(過ぎたるは、なお、及ぶが如し)。新年そうそう失礼いたしました。

 

このページのトップへ戻る

 

査読力?

2011年1月28日

僕は教授という仕事柄、他の人が書いた論文(特に弟子の論文が多いかなー)を読むのが日常になっています。もともと、活字が好きな方なので(どちらかというと活字中毒に近い?)、論文査読に関してはあまり苦になりませんが…。最近は査読していると「嬉々として査読していますね」と、秘書に言われてしまいます。

 

たくさん査読していると、「この文書なんか変だな」という部分がパッと見ただけで、感じるものがあります。まさに経験は力なり。査読力アップ!! 実は、トランプの神経衰弱も得意ですし・・(関係無いか!)。

したがって、論文を斜めに読んでも、語句の誤りや、論文の間違いがすぐに分かってしまうので、医学雑誌の編集委員会でも重宝されています。それで、ますます査読の機会が増えるので、経験値がまた増えるということでしょうか。

そのうち、査読の神様として、論文題名を見ただけで査読完了できるようになるかも・・・これはうそです!

 

また、本や雑誌(もちろん医学関係です)を作るという作業は大変楽しいもので、学術的な内容も重要ですが、写真やイラストのアレンジのしかたひとつでで、本の魅力がまったく変わってしまうのでつい熱中してしまいます。

残念ながら、まだ現役の教授で外科医なので(周囲からいつまで現役ですか?と言われそうですが)、なかなか忙しく、本作りは二の次になってしまい、出版社から催促され困った毎日です。

なんとなく、最後は自慢になってしまったような・・・?できれば、査読力アップよりゴルフ飛距離アップを切に望みます。

 

このページのトップへ戻る

 

趣味:読書

2011年2月3日

僕のプロフィール(右サイドにあります)を見ていただくと、「趣味:ゴルフ、読書」とありますよね。友人たち(特にゴルフ仲間)は、僕のことを「ゴルフバカ一代」と思っている節がありますが、実は、ゴルフと同じくらい読書も好きなのです。

僕は東京駅で時間があると、必ず、オアゾの丸善に立ち寄ります。これは本作りのアイデアを得るためと称して行くのですが、帰りには山のように本を買って、とっても幸せな気持ちで帰ってきます (いつも、宅急便で送ってもらうくらい大量購入しているのですが、まだ、丸善からは表彰状は来ませんね・・・笑)。

 

本好きの人の多くは、新しい本を開く時の紙のにおい、ページをめくる感覚などを楽しむとも言われますが、確かに寝る時に新しい本を開くのはワクワクします。これは、新しい本であれば、単行本も文庫本も同じです。

未知の世界が「紙のにおい」とあいまって、ちょっと大げさですが至福の時間となります。たぶん、この感覚は、i-Padなどの電子書籍では得られないもので、いくら電子化の波が押し寄せてきても、本は永遠に廃れないと信じます!

 

毎晩、寝る前には必ず、1時間くらいは本を読みます。ハードカバーが多い単行本に比べて、小型の文庫本(この大きさのスタイルは日本独特?)は軽いので、寝る前の読書には最適です。年末にベッド脇の本棚やベッドの下を掃除したら500冊以上の文庫本が出てきました。この量には、さすがに本人もびっくりしました・・・。

 

このページのトップへ戻る

 

東京にも雪(2011年)

2011年2月16日

やっぱり今年も、東京に雪が降りました。

ちょうどバレンタインデーの2月14日の夜から降り始めて、ぼた雪だったので、瞬く間に5センチほど積もってしまいました。ちょうど車の運転中でしたが、幸い今年はスタッドレスタイヤでしたので、安心して運転しておりました(予感的中でした・・・)が、やっぱり少し滑るようなので、ゆっくり運転して帰りました。

巷では、ホワイトバレンタインデーなんて言っておりましたが、夜遅くまで仕事をしていた人は、帰れなくなって大変だったそうです・・・・。

翌日は溶けたので良かったのですが、革靴ではとても歩きにくかったですね。

確か、昨年も雪が降ったなあと思い、気まま日記を見直しましたら、2010年2月1日に降ったようです。この日記は備忘録にもなっています。

やっぱり続けて書かなくちゃー(汗)

 
突然の雪に驚いた、咲きかけの梅
2011年2月15日雪が積もった梅の花

 

このページのトップへ戻る

 

地震

2011年3月7日

先日発生した、クライストチャーチ(ニュージーランド)地震による、犠牲者のご家族の方々に哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げます。

 

話は変わりますが、僕の本好きは前に書いたのですが、このところ熱心に読んでいるのは吉村昭氏の小説です。

明治初期から第二次世界大戦までの史実に基づいた小説が多いのですが、「関東大震災」という小説はいつでも起こりうる地震が例になっているだけに、ことさら迫力がありました。当時はほとんどが木造であったため、地震による倒壊被害よりも大火事による被害が大きく、特に、逃げる人たちが背負っている家財道具に火がついて燃え広がるシーンにはびっくりしました。ただ、この現象はすでに江戸時代からよく知られており、地震の際、家財を抱えて逃げるのは重罪に問われたとも書いてありました。

昨年の同じ頃にはチリ地震もありましたし、当面必要なお金や飲み水などを入れた「震災グッズ」を用意しなければ・・と本気で思いました(もっとも思うだけで、まだ実践しておりません)。また、情報インフラなども破壊されるため、いらざる風評がさらにパニックを呼ぶ(関東大震災では暴動うわさ、など)ことも怖いですね。今回のNZ地震では、幸い、携帯電話(特にメール機能)で連絡を取ることが可能だったようですが・・。

 

東大の地震研究所も当時(大正12年)から地震予知に努力を重ねていたようですが、それから約70年後に起きた阪神・淡路大震災も予知できなかったので、地震の予知は大変難しいものだと思います。天気予報は相当当たるようになったと思いますがね(笑)。

鯰(ナマズ)に頼りましょうか?

 

このページのトップへ戻る

 

東北関東大震災

2011年4月7日 

今回の東北関東大震災によって、被災された多くの方々にお見舞い申し上げますとともに、犠牲となった方およびご親族の方には心より哀悼の意を表します。

 

昨年より、小生がこの徒然日記を書き始めて1年が過ぎましたが、その間に2回も地震に関することを書いています。最初は、昨年(2010年)2月27日のチリ地震による津波の話で、もう一つは今年の3月7日(前回書いた記事です)、ニュージーランド・クライストチャーチでの地震について、関東大震災(1923年)の史実を描いた吉村昭氏の著書「関東大震災(文春文庫)」の読後感想とあわせて話題にいたしました。

 

前回の日記から、あっという間に1か月経ち、ずいぶんご無沙汰してしましました。中断しておりましたのは、今回の地震によって少なからず小生の内面にダメージを受けたからです。小生は子供の頃、三重県沿岸の町に住んでいました。この地域は、南海大地震(1921年)をはじめ大小の地震、津波を多発している場所でもありました。ゴーという地鳴りがして地震が起こり、「津波が来る」というので父母に手をひかれて暗闇の中を高台に逃げた記憶が今も残っております。それにしても、今回の大震災のものすごさは想像を絶するもので、地震よりも津波の本当の恐ろしさを目の当たりにして、驚きのあまり発する言葉も見つからないくらいです。本当に、本当に、被災地の方々に深くご同情を申し上げます。

実質的には何も被害も受けていない小生が、いつまでもふさぎ込んでいても何も変わりません。自分にできることを、できるだけ今迄通りにやることが、一番良いのではと考え改め、時々この日記を読んでくださる方々のためにも、継続していこうと決めました。ですから、今、読んでくださっている方々、今後とも時々お付き合いいただけますよう、改めてよろしくお願いいたします。

ペコリ m(._.)m

 

このページのトップへ戻る

 

年年歳歳花相似

2011年4月18日

遅れていた東京の桜の開花も、急激な気温の上昇とともに、あっという間に満開を迎え、楽しむ余韻も無く、あっけなく散って、すっかり葉桜になってしまいました。しかし小生は、どちらかといえば、満開の桜よりも新緑の桜の木の方が好きです。この時期になると本当に日本人で良かったと思います。別に、ゴルフに適した季節だからというわけではありませんので、あしからず <(_ _)> 。

 

丁度、昨日、母の一周忌で深大寺を訪れました。今年は人が少ないと思っていましたが、日曜日のためか大勢の人々が新緑の中を歩いており、ああ、東京はまだまだ元気だと安心しました。

というのは、先週、徳島で学会があり、その時の特別講演に招かれた、中村修二カルフォルニア大学教授(青色ダイオードの開発で有名な方)が、定宿にしている東京の有名ホテルにほとんど宿泊客がいないという話をされており、また、新聞でも都内有名ホテルの宿泊が40%以下に落ち込んでいると書かれていたので、本当に東京(さらに日本)は大丈夫かと心配していたからです。

 

現在、日本は国難ともいえる大災害にあっているのですが、桜前線は北上中で、仙台、さらに東北に広がっていきます。

小生の大好きな洛陽城東桃李花で始まる劉希夷(りゅうきい)の漢詩(すでに何度か本ブログに書いていますが)、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」(「花は毎年同じように咲くが、人は変わっていくものだ」という意味だそうです)のように、大災害の不幸にあわれた方々の元にも花は届けられ、やがて、新しい人生がより良い形でおとずれることをお祈りする母の一周忌でした。

 

このページのトップへ戻る

 

追伸:深大寺写真

2011年4月22日

4月18日の追伸です:

4月17日の深大寺の写真です。遅ればせながら、4月18日に記載した日記の証拠写真です。

携帯電話で新緑の深大寺を撮ってみました。実際は、もっときれいでした~( Photo by Harii )

平成23年4月新緑の深大寺

緑が鮮やかな季節になりました。まだ4月で夏ではありませんが、「目には青葉 山ほととぎす 初がつを」って感じですね。

 

このページのトップへ戻る

 

自然の脅威(驚異)

2011年5月6日

何をしても気持ち良い、過ごし易い季節になりました。皆様、連休はどのようにお過ごしでしょうか?

私たちは、自然の恩恵を受けて生活しています。日本は四季があり、美しい景色、農作物や水産物も豊富です。今年の冬は非常に寒かったのですが、それでも4月に入ると桜が咲き「年年歳歳花相似」になります。これらの恩恵はあまりに身近すぎて、当たり前と考えてきましたし、また、技術や道具の進歩で、あたかも人間が自然をコントロールできるがごとく(ちょっと言い過ぎですか?)思っている節もあったかと思います。

 

が、しかしです。今回の大震災のように自然が牙をむいたときに、人間は全く無力であることを痛感いたしました。地震や津波などの研究機関は多く存在し東大地震研究所など100年近くの研究が蓄積されていると思われます。しかし、残念なことに未だ全て対処研究(すなわち、事後分析)であり、地震発生予知することはかくも難しいということが露呈しましたね。また、今回のような1000年に一度か?といわれるような地震・大津波では、予知を発表しても信じてもらえるか、単に人心を惑わしパニックに陥れるだけかも知れない?など、結局、70年前の関東大震災の時と同じ議論になりそうでもあります。

 

自然の力は、時に、人間の想像を超え、コントロールすることは大変難しいものであります。我々の技術や道具は宇宙に飛び出すまで発展しましたが、大自然の脅威(驚異)に立ち向かうには、まだまだちっぽけで未熟なのかもしれません。またそれらに頼るあまり、危機を感知し管理する能力が劣ってしまったようにも感じる今日この頃です。

ちょっとゴールデンウィークにはふさわしくない、堅苦しい内容でしたかネ・・。(汗)

 

このページのトップへ戻る

 

新緑の候

2011年5月18日

5月に入り新緑が美しい季節になりました。ただ、今年は急に暑くなったり、台風の影響で雨模様の天気だったりで、あまりぱっとしませんが・・・。

 

この季節になると、東京は、世界中の大都会の中でも群を抜いて、緑の多い都市だと再認識します。もちろん、ニューヨークのセントラル・パークや、ロンドンのハイド・パークなど、都市の中の大公園は古くから有名ですが、東京には、面積は大きくなくても、数多くの美しい公園や街並みが存在します。

特に、都心に存在している皇居・日比谷公園周辺をはじめ、上野公園、新宿御苑、明治神宮などの新緑はことのほか美しく、1000万人以上の人々が密集している都市にはとても思えないでしょう。

では問題です。この写真はどこでしょうか?

ドコモビル写真

答え:新緑の明治神宮からのDocomoビルです。ちょっといい感じでしょ。(photo by KH )
 

東北大震災以後、東京を離れた外国人も多いと聞きます。日本の中心である東京の良さを再認識して、また、帰ってきていただきたいと思いますね。。

 

このページのトップへ戻る

 

風評(被害)にご用心

2011年5月31日

関東大震災の時にも、いわゆる「風評被害」が大きく世間を騒がせたらしいのですが、それはあくまで口伝えのものだったのでしょう。それから約90年を経た現代ネット社会においては、悪質な風評が瞬く間に広がり、なにが真実か分からなくなる恐ろしさも露呈しました。

しかし、世界的に見て、今回の東北関東大震災に際し、災害に見舞われた方々の秩序正しい行動と忍耐には「本当に驚くべきものがある」と報じられているのは、日本人としての大きな誇りです。小生の姉が長年フランスに住んでおりますが、多くの友人が口をそろえてフランスでは考えられないとまっさきに感心したそうです。

 

一方、ネットでの義援金詐欺やこころない書きこみ、風評には本当に腹が立ちます。さらに、仕方がないのでしょうが、このような時にテレビに必ず登場する○○専門家や評論家も、もう少し「本当のこと、確実なこと」が言える人を選んでほしいですね(もちろん、時に素晴らしい意見を言われる方もありましたが)。 また、あまりにも多くの情報があるため、真実は何かが分かりにくくなっているようにも感じます。特に、原発に関しては、大変、難しい問題ですね。東電や原子力保安院の記者会見に現状と今後の行方がいまいち分かりにくいようにも感じるのは、皆さんも同じだと思います。

ある知人がこんなWEBがあると教えてくれましたので、又聞きですがご紹介します。ご興味のある方は一度読んでみてください(決して強制ではありませんのでww。あしからず)

「原発ってどんなものか知ってほしい」 
http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html

 

「よくわかるニュース解説の池上晃さん」のように、何が正しいのか、分かりやすく解説してくれる人が説明してほしいと思うのは、小生だけでしょうか。。。

 

このページのトップへ戻る

 

末は博士か大臣か?

2011年6月13日

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、小生の子供の頃には、「この子は良くできるねー。末は博士か大臣だね」というほめ言葉が使われておりました。

先日、小生の外来に、白金の在住のお子さん(いわゆる「おぼっちゃま」ですね)が受診したのですが、診察が終って帰る時に、「先生、ありがとうございました」と大変丁寧に頭を下げてくれました。最近は、このように丁寧な挨拶をする子供は、なかなか少なくなっており(大人もめっきり少なくなりました・・・)、つい、「えらいねー。末は博士か大臣だね」といったところ、本人や親はもちろん、周辺に居合わせた若い医師や看護師も「何言ってるのー?」って感じで、全然反応してくれませんでした。(-_-;)

 

第二次世界大戦前には「博士」は大変尊敬され、運転手付きの車で大学へかよった人たちも多かったように、恵まれた地位であったようです。しかし、1970年前後の学園紛争による大学院や博士のボイコット運動などを経て、「博士」そのものの地位は急落し、特に医学博士などは名刺に書くくらいで、すっかり尊敬に値する地位では無くなったように思います。大学教授もしかりです。

 

最近の政治情勢を見ますと、総理大臣も各省の大臣たちも比較的在任期間が短く、気が付くと変わっていることが多いので、朝令暮改のような感も否めません。また、今回の原発事故などでも多くの○○大学(名誉)教授、○○博士や権威といわれる評論家もマスコミに登場してますが、知識は豊富でも説得力が乏しいため、何を言っているのか分からない人も多く、(総理)大臣にいたっては責任ある発言を「しない」「できない」人達に見えたのは小生だけでしょうか…(これは、あくまで小生の意見です)。したがって、「末は博士か大臣か」と言われても、昭和時代の死語になってしまい、それを目指すごく一部の二世議員の方々以外には、魅力的に感じないのかもしれませんね。

戦前の大臣などは良くも悪くも大変力があったのですがネエ・・・。いったい今の子供たちは「末は何になればよい」のでしょうね?

 

このページのトップへ戻る

 

クールビズ

2011年7月1日

今日から7月です。皆様いかがお過ごしですか?

 

関東地方は梅雨明けまだのようですが、湿度も高めで、かなり暑い日もあって、かーなーりー不快指数が高いです。聞くところによれば、関西地方は激しい暑さとか。代わって北海道では、まだまだ肌寒い日もあるとかで…。こんな小さな日本でも、場所によって気候はバラバラなんですね。

杏林大学病院もクールビズが行われております。節電対策としてノーネクタイでOK、または、ケーシースタイル(医師のユニフォームの名前で、丸首半袖のものです)ということになっています。

小生は、どちらかというとネクタイは大好きで、ネクタイを締めていないと、首のあたりがなんとなく落ち着かない気分なのです。しかし、省エネで病院内の冷房温度が高め設定で、なおかつ、このところの蒸し暑い気候では、さすがにノーネクタイにならざるを得ません。

 

やってみれば、結構涼しくて意外と快適です。ほかの多くの医師と廊下ですれ違っても、やっぱりノーネクタイになっていました。一方、病院を訪れる会社の方々は、相変わらず背広にネクタイ姿で気の毒な気がします。やはり社用で出歩く人は大変ですね。

向暑の折、クールビズでできるだけ快適に過ごされますよう、ご自愛ください。

 

追伸:実は小生、本格的な夏を前に、すでに暑さにメゲております。(トホホ)

 

このページのトップへ戻る

 

「お久し振りです」

2011年8月25日

立秋が過ぎたのに、相変わらず連日の残暑が厳しくて体に堪えていましたが、ここ2-3日はずいぶんしのぎやすくなりました。

我が家の前の公園では、ミンミン蝉とアブラ蝉の大合唱ですが、2日ほど前、ふいにツクツクボーシの声がまじるようになりました。暑い暑いといっても自然は秋に向かっているなーと実感する今日この頃です。さすがにヒグラシの声はしませんが・・。  

 

すっかりご無沙汰です。暑いのに加えて、来年9月開催の国際学会の準備におわれてへとへとになってました。大好きなゴルフもすっかりお休みです。

東京地方は、8月19日の雷雨の後、急に涼しくなったので、これからは、日曜日にはホームコースに出かけて、気分一新、秋の学会シーズンに突入しようかと思ってます。少し元気になった??  

 

というわけで、以前の更新からすっかり夏休みしていましたが(勝手に!)、この日記もまた再開したいと思います。  といいますのも、暑さでへとへとになって、この日記も「誰も読んでないかもしれないもの、もうやめようかなーー」とちょっと思っていたのですが、最近になって「あの日記読んでますよ~」などと声をかけられたりしますので、やっぱり、「もう少し続けてみよう」と思った次第です。  

継続は力なり・・・。どこまで続くか分かりませんが、ときどき読んでいただければ、小生の力になります。これからもよろしく(^-^)

=僕の夏休み、これにて終了=

 しょんぼり

 

このページのトップへ戻る

 

顔面神経麻痺特集できました

2011年9月6日

早いもので9月になりました。ちょっと夏休みで、この日記をお休みしている間に、全く何もせずに、だらーっとしていたわけではありません(小生の名誉のために・・)。

実は、当科のホームページに顔面神経麻痺の特集を作っておりました。

 

専門家の立場から、より正確な情報を一般に公開できればと思って、気楽に作り始めたのですが、「自分の知っていることが、はたして正しいか?」などを疑い始めると、きりが無く、今になって教科書を調べ直したりするので、結構、大変でした。

また、これを読んで頂く方が、専門家(例えば形成外科医など)ではなく、どちらかというと一般の方ですので、出来るだけ難しい言葉は避けたり、専門用語をどの程度使って説明するのか、などなど・・・。書き始めたら、思った以上に大変な作業でした。((+_+))

 

こんな状態でしたので、日記も休んでしまいました(これは言い訳ですがねー) 。

今まで、気まま日記の中で、ちょっと特集的に記載した顔面麻痺の説明とは異なり、かな~り詳細な「顔面神経麻痺特集ページ」になりました。専門用語も出てきてちょっと難しいかもしれませんが、興味のある方は是非ご覧ください。

ぺこり <(_ _)>

顔面神経麻痺特集のページを読んでみる

 

このページのトップへ戻る

 

二百二十日

2011年9月21日

本日は台風15号の襲来で、大学の窓の外は大荒れ、一歩も出られない感じです。10年前に杏林大学に来てから、初めての怖いほどの風と雨です(ちなみに、小生の部屋は9階にあります)。

 

このごろはあまり使われない言葉ですが、古くから、二百十日(にひゃくとうか)、二百二十日(にひゃくはつか)は、台風襲来の確率が高い厄日として恐れられてきました。それぞれ立春から数えて210日目と220日目を指しますので、9月1日と9月10日頃がそれに当たるそうです。

最近は、地球温暖化の影響か(どうかわかりませんが)、台風の来襲時期や進路がズレてきたように感じます。今回の台風は日本全国を縦断して、ちょうど実りの秋を間近にひかえた日本全土で、大きな被害をもたらしそうです。

東北地震被災地へのダメージも心配です。ずいぶん前のことですが、青森のりんご収穫に大被害を出した「りんご台風」を思い出しました。

本当に今年は、地震や津波、それに台風と、自然の脅威にさらされてきました。人間はこのような場合になんて無力なのかと、あらためて思い知らされます。

 

このところ、若者の無関心や少子化などに加えて、財政の縮小化や無駄を排除するということに主眼が置かれ、地域の夏祭りなどは少し下火になってきているということも聞こえます。

かつて行ってきたように、地域挙げてのお祭りなど盛大に再開して、豊作と鎮守をお祈りしたほうが良いのかもしれませんね。

 

風雨が強く、まだまだ帰れそうにありませんので、そんなことを考えながら、久しぶりに日記を更新しております。

 

りんご台風は、1991年9月に発生した台風19号のことで、日本全土に被害を及ぼしました。(Wikipediaより)

 

このページのトップへ戻る

 

暑さ寒さも

2011年10月5日

不思議なものであれほど、9月になっても暑かった残暑も「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、9月23日の秋分の日を過ぎたころから、めっきり過ごし易くなりました。例年より長く頑張って鳴いていた公園のツクツクボーシもついに、いなくなったようで、この数日で急に秋がやってきました。

過ごし易い秋というよりむしろ、今日は、東京では冷たい雨になってしましまい、一気に冷え込みました。あっという間に季節が移りすぎていく感じです。すっかり冷えてきましたので、熱ーいお茶がおいしい季節になりましたね~。 あったかい鍋物やおでんなんかもいいですね。(つい先日まで、冷たい麦茶だったのに!)。

 

昔の人は良く言ったものです。まさに「暑さ寒さも、彼岸まで」ですが、数年前にハッピーマンデーが制定されてからは、休日(祝日)が変動するので、良くわからなくなってしまいました・・・。それに伴って、気候までよくわからないお天気になったのでは??ゴルファーもうろうろします。

 

ちなみに、お彼岸といえば、秋の花に「彼岸花(ひがんばな)」がありますね。埼玉県日高市の巾着田(きんちゃくだ)の彼岸花が有名らしく、先日のニュースでは、多くの人が見物に行ったようです。一度行ってみたいですが、花を見に行ったのか、人を見に行ったのか分からないような、大混雑ではちょっと困りますよねー

 

彼岸花は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも言いますね。花と葉が同時に出ることが無いため、相思花(花は葉を思い、葉は花を思う)です。

 

このページのトップへ戻る

 

故郷(ふるさと)

2011年10月19日

「ふるさとは遠きにありで思ふもの、そして悲しくうたふもの・・」

突然ですが、これは室生犀星の詩集・小景異情にある有名な詩で、懐かしく哀愁のある詩です。 最近、ふっと考えるのですが「故郷(ふるさと)」とは、どこを指すのでしょうね?  もしかしたら、すでに死語になっているかもしれませんが…。

 

小生の場合、生まれは兵庫県なので、出身地(正しくは出生地)は兵庫県と履歴書には書くのですが、わずか6歳までしか住んでなかったので、まったく記憶にありません。

その後は三重県の尾鷲市(多雨で有名)と松阪市(牛で有名)に移り住み、今でも松阪に実家が残っています。小生自身は、中学3年より東京で下宿生活を送りましたので、東京での生活が人生の大半を占めているということになります。

先日、たまたま、伊勢志摩に家族で小旅行をしたのですが、名古屋から近鉄に乗り換えて、四日市を過ぎる辺りから、昔ながらの変わらない風景が広がっていました(多少は、新しいビルも建ってはいるのですがね…)。 東京(特に都心部)では、2-3年もたつと街の様子がすっかり様変わりしていることもしばしばで、特に、東京駅や品川駅周辺の変貌は驚くばかりです。一方、松阪市のような地方の小都市では、何十年もたっているのにもかかわらず、ほとんど同じ風景でのままというところも多いようです。

 

いつも変わらない(自分の子供のころに過ごした記憶と同じ)風景であることが、故郷ということでしょうか? 東京生まれ東京育ちの人の故郷はといえば、やはり子供のころに過ごした記憶の東京ということでしょうか。地方でも東京でも、子供の頃の記憶と異なる風景であった場合は、故郷とはいえちょっと別物のような気がします(これは私見ですが…)。 ちなみに故郷の風景より、松阪牛のおいしい肉こそ、懐かしい故郷の味です!

あっ お腹グゥ・・ (^o^)µ -まさに食欲の秋かな-

 

このページのトップへ戻る

 

アンチエイジング

2011年11月14日

あっという間に11月も半ば・・。光陰矢のごとしとはよく言ったものです。

 

ところで、先月(10月初め)のことになりますが、ゴルフに行ったところ、台風15号のためにゴルフ場の松の大木があちこちで折れて大変なことになっていました。折れた松はほとんどが樹齢何百年?もあろうかという大木で、幹の中はがらんどう(多分、松くい虫にやられているのだと思います)になっていました。

一方、若い樹は曲がったり、根が抜けそうになっているものはあっても、折れているのはほとんどありませんでした。立派な大木が折れているのを見るのは、大変、残念なことです。

 

人間も、「年をとる」と骨や関節が硬くなり折れやすくなるのですが、若い時はそんな心配もありませんね。また、年をとるにつれて筋肉も衰えていき、脳もすかすかになって行くので、「松の老木の中と同じだねー」とプレーヤー一同(皆、高齢者)で感心した次第です。

最近では抗加齢医学Anti-Aging Medicine(アンチエイジング医療)がはやっており、「いつまでも若く、元気で」で合言葉になってきております。不老不死、不老長寿は、昔から人間(特に権力者)の強い祈願になってきました。しかしその一方で、高齢者が増えると社会保障(医療費も含む)の財源がなくなり、国家予算の大問題にもなってきていますが…。

 

何はともあれ、気持ちだけでも若く保つことは重要で、お金のかからないアンチエイジングでしょうか。頭は出来るだけ柔軟でいきたいものです。 また、怪我無く(毛が無くではありませんよ)過ごすために、出来れば体も柔軟に! とはいえ、柔軟体操などを持続するのは結構面倒くさいですよね。 トホホ

 

このページのトップへ戻る

 

ピラカンサスの実

2011年12月1日

小生の家の近所のピラカンサスは、毎年毎年、見事な実をつけます。いつも、この実を見ると、「ああ、今年も終わりに近くなったなー」と思い、ただただ、忙しく過ぎた1年はなんだったんだろうと反省します。もっとも、あと1か月ありますが、師走と言われるほどあっという間にすぎますからねーっ!。

年々年を取るにつれて、益々この思いが強くなってくるような気がします。こんな風に感じるのは、皆さんも同じなんでしょうかね(えっ、小生だけ?)。

特に今年は、来年9月に行います第4回世界創傷治癒学会連合会議(WUWHS2012)という大きな国際学会の準備に追われた1年でしたので、小生にとっては特にストレスの多かった1年であり、また、あっという間の1年でもありました。

来年はもっと忙しくなるか?と思うとちょっと逃げ出したくなりますが、学会の主催は慣れているので、まあ、なんとかなるさ、と思いつつ・・頑張ろう!

ピラカンサスの実(写真)

たくさんの実を付けたピラカンサスの木(2011年11月末に撮影)

 

このページのトップへ戻る

 

名簿

2011年12月28日

今年もあっという間に師走になり、1年を振り返る年の瀬になりました。

 

2年に一度ですが、この時期になると東大医学部(通称「鉄門」)の全卒業生・在籍学生の名簿が配布されます。東大医学部は、そのルーツをはるか江戸末期に遡る日本最古の医学部と附属病院ですので、この鉄門名簿は、最初の大学としての卒業生31名(明治39年卒:もちろん、すべて物故会員)から、現在在籍の第1学年生までの135年間すべての名前が記載されております。

会員の勤務先なども記載されているので、個人情報が云々される昨今においても、連絡などに大変重宝している会員も多いようです。もちろん小生もその1人ですが・・。

 

ところで、小生は昭和42年(1977年)の卒業ですが、古希を迎える歳になりますと、この名簿の後半に載っていた名前も次第に前半部(後続の卒業生が多くなり、だんだん後ろの方が厚くなっていくため)になり、今年の名簿で気が付きますと、ついに前から三分の一のお仲間入りになっていました。幸い物故した同級生は約1割程度ですが、仲の良い友人もいて残念な思いです。また、他大学を含めた現役の教授もすべて退任(退官)し、未だ臨床で主任教授を務めているのは、ついに小生だけになってしまったようです・・・。こういっちゃなんですが、小生、結構働き者です(^-^)

 

学生の頃は、勉強もせず麻雀、パチンコ、もろもろの遊びに明け暮れていた小生が、どのようなめぐり合わせか東大教授になり、あげくに退官後はさらに杏林大学医学部教授として招かれ早10年、東大助教授(現在の准教授)時代を含めると教授歴が40年近くになってしまいました。

若い時は、人を教える職に就くとも思わず、また、就きたいと思ったことも無い小生が、これほど長く教職にとどまるとは夢にも思いませんでした。人の運命は全く分からないものですが、結局、「人を教えるのが好きだったんだなー」と独りごちる年の瀬です。

来年もよろしくお願いいたします。 <(_ _)>

 

追伸:一年を振り返るつもりが、つい半世紀振り返ってしまいました。失礼しました~ (^_^;)

 

このページのトップへ戻る